子どもの人生は子どものものだが?

前回のカキコから1年近く経っているのですが、義父母もだいぶボケたり弱ったりで手助けはしているのですが。

 

孫に対しての発言が変わらない。

「今どこにいるの?京都と八王子?いやいや、東京とかで就職させたらダメよ、どっちか帰ってこんと…」

 

ごめんけど、帰ってこさせるなど強要はしませんし、あなた方が安心するための道具では無いですからね?

言うてあの子らが帰ってきたから何がどうだ?っつー話よ。

わりぃがあと10年は帰ってこんし、言うてその間にあなた方が旅立つでしょうよ。

葬式はそれは大事だからちゃんとするから、

孫が地元に帰らないといけないって考えは捨ててくれ。

高齢の義父義母にかけられる呪いは無視しようぜ

先日版画で生きていこうかなって思ってる長女が帰省したので旦那の実家に顔見せに行ったわけですよ。

作品集持って帰ってきて、ジジババに見せますよね。

まぁ作品集見たら褒めますわ。わあ、これはプロの絵やな、すごいなぁ。

 

そして「プロの絵やな」言ったその口で言うわけですよ。「もう帰ってきていい人に結婚してもらって絵は趣味でやらんといけんよ」

 

はぁ?意味わからん。って思ったから長女はガチで言い返してましたけど、そういうのは耳が遠いフリで聞き流す義母。

「さっきまでプロの絵やなとか言ってていきなり結婚して養って貰えってどういうこと?」って長女に聞かれて「ダブスタだからばぁばの言ってることは無視していいから」って言ったんですけど。

 

年齢を重ねると最終的に自分の基本的な価値観に終着するんだろうなぁ。

自分が過ごしてきた時代の価値観に。

昭和10年代に産まれた年代は、女性の幸せは「結婚して養ってもらう」だったんだろうな。

もちろん「養って」もらうにしても自分も労働力として役に立つ事が前提だったとは思うけど。

あと義母は嫁いでずっと農家で頑張ってきたからこそのそういう発言なんだろうな。

そんで義姉は自身で看護師保健師助産師の免許を持ってやってるから、義姉の娘も保育士だから、それから見たら嫁の子はなんの資格もないから早く結婚して養って貰え、って発言なんだろうな。

 

あー分かるけどごめん余計なお世話やで。

うちの子は、てかあの人達は養われるとかそういう理にはハマらんから。

あの人らを養うならそれは私の仕事やから。ていうかそれはあの人らをそういうふうにした私の、私ら夫婦の責任やから、義父義母らは関係ないから。

 

だから気兼ねなく天寿を全うして頂きたい。

神社に入れないと思い込まれたらしい話

最近、お休みの日には1万歩歩くことをゆる〜く目標にしております。

 

今日は義母の病院の付き添いがあったので、これ幸いと丸一日休みをもぎ取りまして。

午後はまるまる私の時間だったわけです。なので1万歩目指してフラフラとお散歩を始めました。

日頃通らない裏道や住宅街を通り抜け、思ってたんと違うところにひょっこり飛び出し、「おお、あそこからこう来るとここに出るのか、ほうほう」などと感心していると、ちょうど時間帯が小学校低学年の下校時間と被ったので歩道の前に後ろに黄色いランドセルカバーをつけた小学生がわちゃわちゃとしとるわけです。

 

最近小学生を見てないので、彼らの行動が不穏なものに思えて仕方ありません。

唐突に立ち止まって輪になる。

1人は立ち止まっててんとう虫をつかまえる、ほかの二名はどんどん先へ行く。

後ろから来た子がおよそ日本語ではない叫びを上げながら曲がり角の向こうに駆け込む。

横断歩道で車が止まっているのに行こうか行くまいかうずうずする(結局ダッシュで渡る)

 

自分の小学生時代と比べたくても、もう半世紀も前の話、都合悪い部分は忘れていますから比べようがない。まぁ大差なかったろうな、と思い直したところで脇道に入ると、1人の小学生男子が左側に建ってるお店をチラチラ見ながら道のほぼど真ん中をとぼとぼと歩いていました。

脇道と言っても軽自動車がどうにかすれ違うことができるくらいの道幅なので、真ん中歩くのはどうよ?と思っていたら案の定、前から軽自動車が1台ゆっくり近づいて来ました。

気づきそうになければ声をかけようかな、と思っていたら、さすがに車に気づいて右側に避ける男子小学生。

その時に後ろをチラっとでも見たのでしょう、自分一人で歩いていたはずなのに、なんかおばちゃんがおる!!

何故か「ヤバい!!」とでも思ったのでしょうね、いきなりの早歩きです。めっちゃ足運びが慌ただしいんですけど、残念なことに私との差は開かずなおかつ縮まらず、私もなんなら追い越せればいいけど追い越せず、微妙な距離を保って歩き続けます。

それでもまぁ若干距離が縮まりかけた時、男子小学生は突然道路に面した神社の中に駆け込んで行きました。

目で追おうかと思いましたが向こうもこっちを見ていたらそれこそヤバいです、ていうか気まずいです。

「多分私が通り過ぎるのを待ってるんだろうな」

そう思ってあえて神社の方向は見ず、まっすぐ前を向いて帰ったんですが…

一体私は何だと思われたんでしょうね❓

神社❓もちろん入れますとも(^-^)!!

 

名前を間違われるということ

先日、「FEI ART PURO AWARD」という公募展で長女が大賞を頂きました。

その公募展の結果を「美術の窓」という芸術雑誌が掲載してくれました。

 

だがしかし、残念な事にと言うか、あろう事かというか、作者である長女の名前が誤植されていたんですね。

美術の窓」が献本で送られてきて、「雑誌に載ったよー」と開いたらそこには同音異議的な名前。

 

正直、長女の名前は過去何度も誤植されています。

「わかな」という名前の響きで、「若菜」って当てたいですよね、分かります。

でも「若菜」は違うんです。

過去最高に間違ってたのは地方紙で「若菜奈」ってなってたやつで、さすがにクレーム入れるとかいうより笑い話にしてしまいましたが。

 

今回、「美術の窓」宛にクレームのメールを送りました。

訂正しろ

名前を間違うとは何事だ、恥ずかしくないのか‼️

 

も少しソフティーな言い回しですけど、私の中の杉下右京が覚醒したごとく言い募りましたね。はい。

今回は「美術の窓」さんが迅速に対応してくださいまして、来月号の巻末で訂正とお詫びを載せてくれるということになりました。

 

その事で、担当されていたであろう方2名から懇切丁寧に電話とメールを頂き、なんかむしろすみません、という感じに勝手になってしまっています、はい😅

 

ただ、思うに「作品のタイトル」と「作者の名前」は薬の取り違えとかと同等にやらかしたら心底アウトな案件だな〜と。

 

1文字違ってもそれはその人を表すものではなくなるわけで。

漢字使う地域ではそれは不文律ではないかな、と。

そしてその不文律は例えば薬局や病院で名前を入れてお渡しする諸々のものにも当てはまるよね?って。

 

仲間内ではなぁなぁでも済まされるでしょうけど、公的には「人の名前の漢字を間違うのはダメです」って。

 

こまけーこと言うなよ、ってなりがちですけど、「人の名前」は略字とか以外では(渡辺と渡邉とか)極力間違わないようにしないとなぁ…

猫は確かに可愛いけれど

庭に時々猫が来て日向ぼっこしたりスズメを捕ろうとしたり、まぁ適当に遊んでおるようです。

それも複数。

キジやら黒やらシャム系やら、とりどりおります。

で、遊ぶ分には一向構わんのですけど、まぁ生き物ですし。言わんや猫ですから。

糞や吐き戻しがあるわけですよ。

吐き戻しなんて、2階のベランダとかでやりますからね。腹も立ちます、見つけて片付けてってなるし。

 

で、まぁそれは猫の習性として仕方ないとも思う反面、「こいつら野良なのか外飼なのか。どっちにしろ餌やりが居てるんよな?餌やりは自己満足のために餌やって、よそんちで糞や吐き戻しするなんてお構い無しってことよな?餌やりするなら片付けに来いやぁ💢💢」

と、まぁ外猫飼いと餌やり野郎に対してめちゃくちゃイラついてるわけですよ。

地域猫、と称して地域住民で餌やりと避妊と糞の片付け、みたいに取り組んでるところでもなんでもなくて、単に「猫が可哀想だからご飯あげてる自分てステキ♥️」とか「猫は外で自由にしているからいいのよ♥️」とか、そういう連中はほんとに想像力ねぇのな。

餌やってる時点で責任とれや、って思います。

餌やって後は「猫は自由だからいい」とかで、よそで糞して嫌われて、避妊もさせないからまた増えて、自分は猫が好きだけどよそに猫嫌いを増やしてってんのに気づかないのな。

そんで毒餌撒いちゃったり猫捕まえてどうにかしてしまう連中が生まれちゃうんだよ(これはコレで人間性に問題アリだけど)

あと、岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」って番組は好きなんですけど、観てるとちょっと複雑な気持ちになったりします。

牧場で飼われてて、とかいうシチュエーションならまぁ糞害とか吐き戻しとかに目くじらたてなくてもいいかな?とか、商店街とかでみんなに可愛がられてる野良、とかなら糞や吐き戻しも「あらあら、落し物してったわよ」位のおおらかな気持ちで気づいた人が片付けるのかな?とか…

とにかく!!庭で遊ぶのは構わんが、糞と吐き戻しは餌を貰ったところでしてくださいね、と猫たちになんとか伝わんねぇかなぁって思ってます。

「楽園の真下」という小説

荻原 浩先生の文春文庫版なんだけど、カバーのカマキリに惹かれて読んでみた。

内容は「パニックホラーカマキリと腹のやつと人間の三つ巴大乱戦スマッシュブラザーズ」て感じで(ちなみに私はスマッシュブラザーズは全く知らない)、私は小説を読む時に頭に映像が流れてくるほうなので、今回も勝手に配役当てて頭の中で映像化して…

 

 

勝手に配役当てるので、民宿の夫婦が北斗さんご夫婦、准教授が尾野真千子、ライターが高橋一生、民宿の富谷くんは渡部豪太、明日歌さんは広瀬アリス、農場のご主人様が佐藤二朗、警察の三上さんはゴルゴ松本。あとネットTVのリポーターは今田美桜(ごめんこれはすぐ死ぬ)

 

最初は「え、これハリウッドでやんないかな、配役は日本人じゃなくて、脚本もアメリカ的で良くね?」とか思ったけど、いやこれはやっぱり日本人キャストでやりましょうよ、って🤣🤣🤣

 

死体の表現は「ミッドサマー」の美術さんにお願いしたいし、カマキリとかハリガネムシとかの表現はなんかそういう特殊なのを得意なところにお願いしたい。

えーもう映画化いいじゃん、してくんないかな〜😆

 

と、思ったのもつかの間。

昆虫とか寄生虫とか、嫌がる人多数ですよね?

だから多分(つか絶対)無理だわ…

あくまで私の頭の中のシネコンで上映するだけっすわ…

 

 

卒業と聞いて思い出した話

卒業シーズンで、ふと思い出した自分の中学の卒業式。

中三のクラスはとても仲が良くて担任も良くて、卒業式後のクラスでの卒業証書授与では担任もみんなもボロボロ泣いていましたねぇ…

 

んで、卒業式後、みんなで「この後受験だし、今日だけ自由だし、なんならみんなでラーメン食べに行こうよ!!」って盛り上がりまして。

みんなは卒業式に参加してた保護者に了承もらって、さぁ行こうよ!!ってなってて、でも私は保護者はそそくさと仕事に戻ってしまったから了承は得られず、それならと自宅にいる祖母に了承を求めたわけですよ、電話で。

 

そしたら「そんなつまらんことに時間を使うな、さっさと帰ってきて高校受験の勉強しろ!」と言われ、泣く泣く諦めて家に帰ったわけですね。

 

んで、仕事から帰ってきた親にその顛末を話したら。

「バカやなぁ、いちいちばぁちゃんに言わんで行けば良かったのに。」

 

バカですって。

中学生がみんなでラーメン食べに行くのを、「言っていい?」って聞いた方がバカなんですって。

 

これ、かれこれ40年前の話なんですけど。ラーメン食べに行きたかったって言うより、正直に許可を取ろうとして否定され、挙句「黙って行けばよかった」みたいに言われたのが未だに納得いかんと言うか、「どこに行くかちゃんと伝えなさいよ」って日頃めちゃくちゃ言ってたくせにいざ伝えて私が「行ったらダメってばぁちゃんに言われた」ってベソかいたら「黙って行けばいいのに」って、ダブスタどころの話じゃないですよ。

 

未だに思い出すと腹立つというより「意味わからん」ってなるし、当時は親のことをある意味絶対的ななにかって思ってただけに今になって「親って別に絶対的ななにかではない」ってわかってきて、ていうか親って尊敬する対象であるけど同時にバリバリに反面教師だなって。

私はいちいち隠したり上手いことを言ったりするのは苦手なので、ぶっちゃけることが多いんだけど実母にしてみたら「そんな事言わんで知らん顔してればいのに」ってことらしい。

 

まぁ今父親がだいぶ海馬がダメになってきて、会話がリングワンデルングになってるから、「知らん顔して聞き流す」は母のサバイバル術になってるんだとは思う。

 

だがしかし、あの中学の卒業式の後のあの言われようは、未だに「正直者は馬鹿を見るってことなん?」ってあとを引いてるんですよね…